無伴奏デクノボー奏鳴曲(ソナタ)

ものがたり

男「松本」が稽古場でチェロを練習している。弾いているのは宮沢賢治の「星めぐりの歌」。松本は宮沢賢治の芝居を上演したいと思っている。そこへ「知らない女」があらわれ「どんな芝居になるの?」とたずねる。「松本」は「…たとえば『セロ弾きのゴーシュ』はどうして生まれたかというようなことです」と答える。
 賢治は、友人にあてた手紙の下書きの裏面に死ぬ直前まで「セロ弾きのゴーシュ」の書き直しを続けていた。その時々に書かれた手紙を手がかりに、「松本」は賢治の理想と挫折の日々を演じていく。
 

 舞台は金星音楽団の練習場となり、ゴーシュの住んでいた水車小屋になり、下根子桜の宮沢家別宅へと変化する。「女」は「松本」の相手役を生き生きとつとめていく。
 父との対立から東京へ家出していた賢治は、妹トシ子の病気をキッカケに花巻にもどり、農学校の教師となる。たった一人の理解者だったトシ子の死は、「永訣の朝」という詩にあらわされ、賢治は苦難の道を進んでいく。 
 ゴーシュの水車小屋には、猫をはじめ次々といろいろな動物がやってきて、難題をふきかけたりゴーシュを怒らせたりする。はじめは邪魔にしていたゴーシュだが、少しずつ動物たちと心を通わせていく。

 教師を辞めた賢治は、羅須地人協会を設立し、仲間たちと農民芸術運動を始めるが、閉鎖的な農村社会から少しずつ孤立していく。ひとり暮らしを心配して訪れる末妹クニや母イチを追い返してしまう賢治。質素な食事と過酷な労働はその体を傷めていく。



※この作品は「男のいる稽古場」「ゴーシュの水車小屋」「賢治とトシ子が暮らした宮澤家」という三重構造をもっています。この作劇のスタイル(様式)について、作・演出のふじた先生が初演パンフレットに説明して下さいました。参考にお読みください。 

「複式夢幻能とは・・・」

  作・演出 ふじたあさや  (初演パンフレットより)                    

 国々をお巡るお坊さんがあるところでなぜか気にかかる人に出会います。土地の人に聞くと、「それはきっとこの土地で思いを残して死んだ誰それの幽霊だったのでしょう」と言われます。それではとお坊さんが供養を捧げていると、幽霊が生きていた時の姿で登場し、お坊さんに、「良く供養をしてくれました、実は自分が死んだのにはこういうわけがあったのです」と語り、その時のありさまや心残りを歌や舞いで表して、あとの供養を頼んで消え去ります。それに応じたお坊さんの供養の声で終わる、というのが複式夢幻能のやりかたです。

 複式というのは、幽霊になってからの現在と、生きていた時の過去が、二重構造になっているからで、でもよく考えると、お坊さんが語っている「今」からみれば、三重構造ともいえるわけで、こんな複雑な劇構造を持った演劇が、600年前に出来上がっていたとは驚きです。戦いに明け暮れ、死が日常だった時代が生んだ、劇づくりだったのでしょう。

 俳優というものが、もともと死者の声を伝える巫女から発達したものだということを重ねて考えると、『無伴奏デクノボー奏鳴曲2016』が、なぜ「現代の複式夢幻能」なのか、お分かりいただけるでしょう。

 上演を通じて、果たされることのなかった賢治さんの思い、賢治さんの思いが果たされることを夢見続けたトシ子さんの思いを、受け止めたいと思います。

                                        

たしかにおら、

デクノボーであんす。

だども、

デクノボーはデクノボーなりに

人様のお役に立つこともあるべ。

 

トシ子、

おめえがいてくれたらなあ。

ひとりで歩ってくのは、ことだ。

トシ子、

背中押してけろや、な。

「デク」は「木偶」と書き

「人形」を意味する古い言葉ですが

「デクノボー」には

頑固者、できそこないの意味もあるそうです.

                               宮沢賢治の残した作品の背景に

どんな孤独と苦闘の日々が重ねられたか。

賢治さんの好きだったチェロと

格闘しながら演じています。



※「無伴奏デクノボー奏鳴曲2016」は2003年劇団イングによって初演された「無伴奏デクノボー奏鳴曲」を小会場向け・青少年向けに作り直しました。出演者2人・スタッフ1~2名の編成で、小劇場・フリースペースでの上演が可能です。


 ◆スタッフ

 美術/福永朝子 衣裳/中矢恵子 照明/御原祥子 音響/四方あさお 

  効果・音源製作/山北史朗 チェロ指導/星野順一 写真/清水ジロー 制作協力/劇団イング 宣伝美術/hina